掲載誌 | 有料メールマガジン「Scan Security Wire(2005年度)」 今注目のネットワークにまつわる規格・制度をわかりやすく解説! |
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掲載年月 | 2005年2月3日 Vol.310 |
執筆者 | 小松信治(アイドゥ) |
2004年10月5日、東京都千代田区に小さな会社が新しく設立された。 株式会社セキュアブレイン。一見普通のセキュリティベンダのように見えるのだが、実はこの会社、セキュリティソリューションの雄、シマンテックの日本法人から独立した9人が中核メンバとなっている。代表取締役社長兼CEOは、元シマンテック日本法人社長兼CEOの成田明彦氏。事実上「シマンテックからのスピンアウト」ともいえる形で設立されたこの会社は、今後どのようなソリューションを生み出していくのだろうか。また、この会社の目指すものは何なのだろうか。そのような疑問を胸にセキュアブレインのオフィスを訪れ、成田氏、セキュアブレインのプリンシパルセキュリティアナリスト星澤氏に話を聞いた。
会社設立の経緯を考える上で、現在代表取締役社長兼CEOの成田氏のキャリアパスを無視することはできない。まずは成田氏のキャリアパスを振り返ってみたい。
成田氏は20年を超えるIT業界でのキャリアの後、1989年、アップルコンピュータ日本法人に入り上級幹部となった。そして1994年、世界最大のコンピュータセキュリティ製品・ソリューションのベンダである、米シマンテック社の日本法人立ち上げに参画し、日本法人社長および米本社の副社長を兼務することとなる。当時はまだ日本では「コンピュータセキュリティ」という概念自体が明解に存在していなかった時代である。米本社の後押しがあったにせよ、事実上日本国内で全く新しい市場を開拓してきたといっても過言ではなかろう。
成田氏は、シマンテック日本法人設立から約9年もの間、シマンテック日本法人の社長として、日本のセキュリティ業界を先導してきた第一人者なのだ。日本におけるセキュリティ市場の立ち上がりから今日まで、市場を見続けてきた成田氏は、まさに日本のセキュリティ市場についての「生き字引」とも言うことができるだろう。
そんな成田氏であるが、昨年シマンテック社長職を退き会長職に就任する。会社経営は現シマンテック社長の杉山氏に任せ、経営の第一線から退いた形となる。このとき成田氏は、自分は次に何をしていくべきなのだろうかと考え始めるようになったという。「更なるステップとして、自分は何を行うべきだろうか?」、これを具体的に考え始めたとき、まず選択肢にあがったのは「同じことをもう一度行う」ことだった。つまり、米シマンテックの日本法人を立ち上げ、日本のセキュリティ市場を開拓してきたキャリアを生かし、また別の外資系企業の日本法人設立に参画すること、これが最初に念頭にあがったという。
実際、いくつかの企業から、具体的な誘いもあった。
成田氏はシマンテック日本法人社長として9年間、日本の情報セキュリティのために奔走し続けてきた。市場におけるNo.1プロダクトの拡販を通じ、情報セキュリティ市場の拡大と、その啓発活動に貢献し続けた成田氏の功績は非常に大きい。しかしながら、アメリカ製の製品により国内の情報セキュリティ市場が席巻されていることに関して、成田氏が強い危機感を募らせていたのも、また事実であった。
現在、日本の市場で広く流通している情報セキュリティ関連製品やソリューションのほとんどは、実はアメリカ、一部はイスラエルで生まれたテクノロジである。もちろん、日本発の製品やソリューションが全く皆無であるというわけではない。しかし、「情報セキュリティ製品」と聞いていくつか製品を思い浮かべてみてほしい。「ファイアウォール」「ウイルス対策ソフトウェア」「侵入検知システム」「暗号化」「PKI」など、情報セキュリティの基盤をなす製品、あるいはその基本的考え方はすべてアメリカあるいはイスラエル発であることがわかるだろう。その他の国で生まれたセキュリティ製品も存在しているが、それらは先行するアメリカのテクノロジを模倣したものに過ぎないのだ。
成田氏はこの事実に非常に強い危機感を感じ続けてきたという。日米同盟が今後も安泰であれば問題ないのだが、もしそれが揺らぐことがあればどうなるだろう。日本のサイバーセキュリティは丸腰にされてしまう可能性があるのだ。
事実、暗号化方式の輸出入に関しては、アメリカ政府の規制により日本では最新の暗号化方式が輸入できず、国内で利用できない時代があった。成田氏もこの問題には苦慮したという。シマンテック会長職に就き、次の人生のステップを真剣に考え始めたとき、この個人的思いは非常に強いものになった。これを考えたとき、もう「同じことを繰り返す」、つまり外資という選択肢を選ぶことはできなかったと、成田氏は語ってくれた。
そんなとき、幸いにも今回一緒に会社を立ち上げることとなるメンバから、具体的なセキュリティソリューションのアイデアを聞くこととなる。それは今までに日本には無い、いや世界中のどこを見渡しても存在しない新しいアイデアだった。これを製品化し、人生の新たなるステップとして世界中に広めていく。成田氏の新しい挑戦が始まることとなった。同じ志を持つ仲間が集まり設立した会社、それがセキュアブレインである。
セキュアブレインの掲げる目標は「日本発」の「自分たちで作ったソリューション」を「世界に向けて」発信していくこと。その理由はもうお分かりだろう。この会社は単なるセキュリティ会社でもなければ、「シマンテックのスピンアウト会社」でもない。日本の情報セキュリティの未来を案じ、それを自らの力で変えていこうとする「野望」を秘めた会社であり、またそれだけの実力を持つ会社なのだ。
それでは、セキュアブレインの持つ実力とはどのようなものなのだろうか。成田氏によると、セキュアブレインの強みは「人間」と「戦略」だという。「人間」の部分については詳細な説明は不要だろう。セキュアブレインにはシマンテック日本法人にてセキュリティ業界を知り尽くした、9人のスペシャリストが揃っている。今回技術的な話をしていただいたプリンシパルセキュリティアナリストの星澤氏もその1人。「日本におけるセキュリティ技術の第一人者」(成田氏)をこの会社は有する。その他にもセキュリティ業界におけるマーケティング、営業など様々なセキュリティビジネスのエッセンスを知り尽くした人材が集まっているのだ。
では、もう一方の「戦略」とは何なのだろうか。成田氏はキッパリと断言した。「我々は全く新しい市場を開拓していきます」と。「デファクトスタンダードを目指す」これがセキュアブレインのもう1つの強みである「戦略」なのだという。なぜこれが強みと言えるのだろうか。デファクトスタンダードを目指すとは、「言うは易し、行うは難し」ではないのだろうか。
実は、この戦略に行き着いた背景には2つの理由がある。1つは会社設立の動機にもなった「日本発のソリューションを世界に広めたい」という思いだ。確かに、これを実現するためには、既に市場に出回っているソリューションの後追いであってはならない。いくら機能を付加したとしても、性能を向上させたとしても、基盤技術が日本のものでは無い以上、会社設立の趣旨に反する。しかし、成田氏は理想だけで経営戦略を決めているわけではない。もう1つの背景にはしたたかな計算が隠されている。
日本発のセキュリティ基盤技術を世界に広めようとするなら、既存のソリューションを完全にリプレースしてしまう方法もあるのだが、残念ながらそれは非常に難しい。というよりも、むしろ不可能だ。そうであるなら、既存のソリューションにこだわらず、全く新しいソリューションを生み出してしまえばどうだろうか。そのメリットは、実は計り知れないものとなる。完全に市場で先行することに成功したなら、既存のセキュリティベンダとの競合が無くなり、そのソリューションは世界を相手に戦えるものとなる。デファクトスタンダードとすることも夢ではない。会社設立の趣旨を実現する、これ以上ない理想的な戦略というわけだ。
果たしてそんなことができるのだろうか。まだ顕在化していない新しいネット上の脅威を先取りし、それに対するソリューションを提供していくことなど、可能なのだろうか。一般的に考えたなら不可能に近い話だ。しかし、日本のセキュリティ業界を知り尽くした成田氏と、日本有数のセキュリティ技術者を有するセキュアブレインであれば可能なのではなかろうか。成田氏が語るセキュアブレインの強み「人間」と「戦略」は実はどちらが欠けても会社は成り立たない、いわば車の両輪なのだとも言える。
今後どう市場を開拓していくのかが課題だと、そう成田氏は語っていた。しかし、その言葉を発する氏の表情は自信に満ちていた。この会社はやってくれるのではないか、そんな期待を確信に変えるだけの、力のある表情であった。
本連載後半ではセキュアブレインの第1弾製品「フィッシュウォール」とセキュアブレインの目指すセキュリティ製品の具体像について、掲載する予定。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 株式会社セキュアブレイン取材レポート(前編) ~日本発のセキュリティソリューションで、世界のデファクトスタンダードを~
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