朝日新聞の生活面に「越える」と題したシリーズ記事が掲載されている。
今日(2008/1/4)は「境界その3 成功」について。
この中で紹介された1人目は29歳独身の女性医師。彼女は「職業だけ見れば勝ち組、恋愛では負け組みかも」と。 もう1人は31歳IT会社経営の男性。彼は「勝ち組とは、安定あればこそと思われている。世間の社会的価値観から見れば、自分は負け組みに見えるかも」と。 (原文の一部を要約)
でも、この2人とも決して自分は負け組とは思っていないはず。
だからと言って、勝ち組とも意識していないはず。
私は、この勝ち組・負け組という言葉が大嫌いだ。
だって、誰とも特定できない、摩訶不思議な「世間一般」なるものが言うところの価値観だから。
あの記事の中の2人に共通して感じたのは、きちんと自分を持っているということ。だから彼らは勝ち組とか負け組とか、そんなこと自分にとってはどうでもいいことなんだろうな、と。
ところで、私自身の価値観て何だろう? とあらためて考えてみる。
ほんの小さなことでも、自分自身に「勝てた!」と思えた時は、とてもうれしい。
ほんの小さなことでも、ステキ!と思わずときめいた時は、すごく楽しい。
そして、今日も健康で1日を過ごせると、幸せを感じる。
ほんの小さな幸せでも、それが感じられる時は、希望と夢を持てる。
私にとっての価値は、自分を幸せ者と感じることができ、希望や夢を持てる状態なんだと思う。
そう思えるから、自分に「ないもの」ねだりもしなくなるし、人は人、自分は自分と思え、世間体だけに縛られることもなくなる。
反対に自分にあるものがいっぱい見えてくる。
時々病気やけがはするけれど、ちょっと弱い所もあるけれど、基本的には健康な体。
これは今の私にとって、最大の財産だ。
そして、自分のことを思ってくれる家族。
素晴らしい同僚、スタッフや友人。
楽天家の自分。
小さなことでも感動できる自分。
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