方言こそ、横着の象徴じゃないでしょうか?
例えば、
「~~ なんて、知らないから、 ・・・・ 」
という何気ない会話中のほんの一部分、「知らないから」を、自分の出身地の方言にしてみたら、 ・・・・
私は岡山県生まれで、実家も同じです。岡山弁では、
知らないから → 知らんけん
となります。
分解すると
知らない → 知らん
から → けん
で、私にとって、「知らんけん」の方がずっとスムーズに口が動きます。
東京言葉に慣れたはずだったのですが、ふと思い起こせば、無意識のうちに
否定の意味で使う「ない」は、「ん」と発音
していることが多いような気がします。「わからん」「見えん」「読めん」等々。
「あ」という母音が重なると、口を大きく開け続けなくてはいけないし、特に「らな」と続くのは、かなり発音するのが苦しい。
先ほどの例では、「知らない」「わからない」が、これに該当します。
納得してくれました?
岡山で過ごした期間と、東京で過ごした期間とは、ほぼ同じくらいなのですが、実は、東京の言葉(標準語?)をしゃべるのは、未だに少しエネルギーが要ります。
難しい発音をきちんと言わなければいけないからです。
その範疇で言えば、まだ、あります。
「そうでしょう。」
なんてのもその一つ。「で」で口を横に開き、「しょ」で思いっきり口をすぼめる。
ホント、そうでしょうーーー!
(最後に思いっきり口をすぼめてください。)
頬のあたりの筋肉が引きつったと思います。
方言が横着そのものだと気づいたとき、横着なのは私だけでなく、勤勉に見えた昔の人々もみ~んなそうだったんだとわかり、安心しました。
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