「メタボ」「食育」 ・・・・ 最近、健康や食事に関する話題が多いですね。
だからと言う訳ではないのですが、私も、この頃、ちょっと「食」に関心を持つようになりました。
そこで本屋さんに行ったら、何と「食」に関する本の多いことか!
料理、食事療法、栄養学、健康、グルメ・・・等々、その数に圧倒されます。
そして、私は1冊の本を買いました。
読み始めて、いかに今まで「食」に関して何も知らなかったかを思い知らされたのです。
40年以上、毎日お世話になっている「食」なのにね。
もう少し知りたい。
と周りに打ち明けたていたら、知り合いの方から、日本食育学会の大会が5月12日にあることを教えていただき、参加(聴講)してみました。
参加した感想は -
ああ、何て私の「食」は貧しいのだろう。
今まで、私は「食」について知らなかっただけではなく、貧しかった(今も)のです。
あらためて、気づかされました。
この日、一番印象深かった講演は、竹下和男氏の「”弁当の日”がやってきた」です。
その中でも、私にとって、「心の空腹感」は最も心に残った言葉です。
そして、
弁当を通じて、親子が対話する
という言葉も。
(ご著書は近々入手して読んでみようと思います。)
幼い頃からの記憶を辿ってみます。
楽しかったり、悲しかったり、うれしかったり、悔しかったり。
そんな場面に、忘れられない味は、登場しますか?
忘れられない味っていうのは、食べ物自体の味に対してのこともあるでしょうけど、それを食べたときの思い出こそが「味」という記憶に焼き付いているのではないでしょうか。
思い出したとき、すごく懐かしかったり、すごく安らかな気持ちになれたりする、そんな「食の絆」こそ、豊かさに通じるのだと思います。
「食は文化」とよく言われますが、初めてやっと、少しだけわかった気がします。
豊かさは、決してお金だけでは、買えないということも。
特に家族のために作る料理こそ、その原点なんですね、きっと。
私はおばあちゃん子でした。
幼い頃、冬になると、おばあちゃんが片栗粉と砂糖を入れた湯飲みに、やかんから少しずつお湯を入れながらかき混ぜてくれました。これが葛粉であれば、「葛湯」です。
ある時から急にトロ~ンとしてくるのが面白くて、そして猫舌の私は、フゥフゥ吹きながら少しずつ食べるので長持ちして、・・・・ きっと食べながら、おばあちゃんといろんな話をしていたはずです。
片栗はおばあちゃんの思い出そのものです。
ここ何年間も、思い出の場面に「食」が登場しないのです。
これは、私自身、驚きました。
最後の忘れられない味を感じた時っていつだったか、思い出せないくらいに。
「食」は文化や安全の前に、愛情なんですね。
愛情が文化や安全につながる。
そんな当たり前のことさえ、忘れていました。
仕事や忙しさを理由に、何か大切なことを置き忘れている自分に気づきました。
高級食材や高級店に行くのではなく、日々の生活の中で感じる、忘れられない味。
もう一度、作ってみたいと思います。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 「食」の絆 ~自身の貧しさを知った日~
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.eyedo.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2118